YouTubeで上沼恵美子ちゃんねるをみています。 亡くなった叔母のことを想う

みなさんこんにちは!あつこです。

 

最近、「上沼恵美子ちゃんねる」をYouTubeで視聴しております。

 

現在39歳のあつこ、20代の頃までは上沼さんのことはそんなに好きではありませんでした。

いや、むしろ「何でこの人、何でもかんでも好き勝手に話すんやろか!優しくない」「自分には合わへんわ」と、上沼さんの番組をみていませんでした。本当に、、申し訳ないのですが、嫌いな芸能人のトップ10に入ってしまっていたのではないかと思います。

 

そんなあつこが、なぜか今では上沼恵美子さんのファンになっております。

この上沼恵美子チャンネルのご紹介をさせていただきますと、

2021年11月にチャンネル開設。テレビのお仕事をセミ・リタイヤされてからは、(レギューラー番組は少しはあるようです)

ご自身のYouTubeでトーク企画や、料理企画、お悩み相談も行っています。

上沼さんのお姉さんも一緒に登場。ご自分のお部屋での撮影だったり、温泉旅館でまったりという感じの番組構成。テレビ時代と比べますと見ているこちら側も肩の力が入らないです。

テレビで見ていた怖い!?印象から一点、上沼さんの優しい雰囲気が醸し出されるチャンネルだと思います。

 

しかし、、なぜなのでしょうか。なぜ私は最近になって上沼恵美子さんのことが好きになったのでしょうか。少し考えてみました。

 

理由① 上沼恵美子さんの話す関西弁・上沼恵美子さんの熱弁する姿を見て元気が出る

喋りの女王の力をまざまざと感じます。

バラエティ界の’’西の女王’’のオーラを毎回楽しみにしているのです。

お悩み相談の時の悩みに答えておられるところが、聞いていてスカッとします

 

 

理由② 懐かしい。

沖縄では上沼恵美子さんのような方には出会えず、

大阪で見聞きしていた身近な関西のノリ・ツッコミをしている方を懐かしいなぁと

感じるのです。ノリツッコミ、、沖縄ではなかなかレベルが高い会話術です。

ボケとツッコミを繰り返し、そして話をきちんと回収する(オチをつける)

全てお一人でなさる姿に感動!まさにお笑いの幕の内弁当です

(→もう例えがわけわからなくなっています。すみません。)

 

理由③  大阪の叔母を思い出す。

考えてみますと、今は亡き、私の父方の叔母は、典型的な大阪のおばちゃんでした。

その叔母に上沼さんの雰囲気が似ているのです。

私が幼い4・5・6歳ごろでしょうか。叔母はご近所さんでした。

私と妹が自分の家のタンスに落書きをした時のことです。

「こんにちは〜🎵入るで〜。」

おそらくその日は私たちの面倒を見るために来てくれたのだと思います。

私と妹は、落書きをした事を隠したつもりだったのですが、

「まぁた、なんかいらん事してるんちゃうやろなぁ〜」

なぜがすぐ異変を悟られました。昔から子供の心をよくわかっている人でした。

 

 

あとは、’’高野豆腐’’のことです。

私が叔母の家に遊びに行くこともありました。

そんな時、いい匂いがします。

 

「あっちゃん、食べるか〜?」

 

なぜか覚えているのですが、

 

’’関西風の高野豆腐の炊いたもの’’おそらく高野豆腐を甘辛く炊いていたのかな。

うる覚えなのですが、炊いてる側からやってきた私に味見をさせてくれました。

叔母は料理上手でした。

ちなみに上沼さんも、お料理が得意で簡単お手軽なレシピを

楽しくご紹介してくださっていますよね。

 

30年以上経っても色褪せない叔母の記憶です。

 

そんな叔母は父の姉にあたる人ですが父と歳が離れており、

年齢的には、私の沖縄の祖母と同じ世代です。

つまり叔母というよりは、おばあちゃんの位置にもなりうる雰囲気を持っていまして、

私が幼い頃は沖縄にいた私の本当の祖母が軽く嫉妬するほどでした。

大人になってからは、大阪の祖母が亡くなって、たまに会うくらいでしたが、

叔母は、私にとってはおばあちゃんのような近しい存在でした。

上沼さんのあの大阪のおばちゃんの雰囲気、

人情味のある人間力は叔母に似ていると感じています。

大阪を出て良かった                              「大阪、あまり好きではないもの、当たり前だったもの」が尊いものになった   

私が移住して本当に良かったと思うことの一つはこのことです。

 

大阪、今まで当たり前だった記憶や人の存在。街の風景。

そんな大阪の日常から抜け出したいと12年前に沖縄にやってきました。

そんな大阪を好きになることができました。

 

その証拠が、上沼恵美子チャンネルです!

大阪にいた頃の私だったら絶対見ていない上沼恵美子チャンネルを自分が今見ていること自体不思議なことです。

叔母を想うこともそうです。大阪時代の友達も、職場の先輩方もです。

大阪を懐かしい、大事やなと感じる。大阪は改めて自分のいた場所やったんやなと感じる。

 

沖縄にいるとなかなか上沼恵美子さんや叔母のような強烈な関西人には出会いません。

 

そうなりますと、もう’’懐かしい記憶’’から’’尊い記憶’’になり、今では’’大切な思い出’’となっています。もう、出会えない。なかなかお見かけできないもの。

 

まだわずかに残っているのでしょう、私の関西弁。

「関西の方ですか?」

 

患者さんに時々聞かれます。

 

そんな時、

「あ〜私の中のまだ関西残ってるわ〜🎵」

と嬉しくなります。

 

沖縄ももちろん愛してやまない私の住む街。

大阪は大切な場所。

 

2つの大事な場所が出来たのです。

 

 

移住の醍醐味 みなさんも🎵

海が綺麗、山が綺麗、と言ったようなわかりやすいものではないかもしれませんが、

移住をしますと、去った場所の尊さに気づけて、私はそのことに感謝しました。

 

これはあくまでも私の場合なので、同じ土地に住んでおられる方はきっとその場所で大きな収穫があるのだと思います。積み重なる何かを感じておられるのだと思います。

 

私は、大阪と沖縄が自分の大切な場所です。一方、ある方は世界の何カ国も飛び回り、また違った世界観をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

移住したり、旅をしていろんな事を感じ、その想いを持ち寄って誰もが世界中の人にシェアできる世界。

こんなすごいことができる今この世界は捨てたもんじゃないなと思いました。

みなさまお一人お一人の今日が豊かな人生となりますように。





今日も読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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この記事を書いた人

沖縄在住13年目、沖縄のお出かけ情報ならお任せください。歯科衛生士歴20年目、年間1000人以上の患者さんの歯と向き合っています。大好きな沖縄の情報、時々色々な事(歯科、聖書)をお届けします。

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