聖書おすすめ箇所 シリーズ⑤ヨハネの手紙一 4章16節〜21節〜どうしても人を許せないと思ってしまう方へ〜

みなさん、こんにちは! あつこです。

今日は、「聖書のことが少しわかるシリーズ第5弾」です。

今月も子ども礼拝でお話担当がありましたので、その時にお話した内容を記録も兼ねて、

みなさんとまた一緒に共有させていただきたいと思います。

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目次

「神は愛です」ヨハネの手紙一 より

ヨハネの名前がついている手紙である、このヨハネの手紙一 他にも、ヨハネの手紙は第一〜第二・第三とあります。
このヨハネの手紙(3巻)と、ヨハネによる福音書ヨハネの黙示録を合わせて「ヨハネ文書」(Johannine writings)と呼ばれています。
使徒ヨハネ(イエス様のお弟子さん)が書いたと言われていたりもしましたが、使徒ヨハネの影響を受けた教会の指導者によって書かれた文章であるとも言われております。
今日の聖書箇所は「愛について」  聖書は愛について、どのように語っているのでしょうか。
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことが出来ます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
ヨハネの手紙一 4章17節〜21節      日本聖書協会 新共同訳 より抜粋

ここでいう「兄弟」って身近にいる人を愛しなさいってことよね。今、人間関係で悩んでいるのに。。なかなか人を愛すること、許すこと、出来ないわよ・・。

言葉だけを取ると、「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです」と現代に生きる私たちには少々、きつい一言が書かれてあるようにも思えますね。
でも、その前の文章に注目して見ましょう。
「神は愛です」
と断言している文章から始まります。

そこに愛はあるんか

大地真央さんが出演されているCMでこのようなセリフがありました。

「そこに愛はあるんか、信じられる愛はあるんか」

By大地真央  アコムCMより抜粋

 

このCMで言われている、それは、人や動物・人類全般に対する愛情を表しているのかもしれません。

 

現代社会・この人間界でもすでに愛について考える機会があるのです自分の置かれている場所で、人と人とが関わる中で、このCMでは、自分の態度には「愛」があるんかと、問われているのです。

 

そのため、「そこに愛があるのか」問題では、私たち人間が決めること・感じることとも言えます。

 

私は・・・

「(あそこにも)愛がある」と思う。(だから、ここに残る。別れない。続ける・・)

「(ここには)愛がない」と思う。(だから、別れる、辞める、離れる・・)

 

このように、「そこに愛があるのか」問題では、私たち人間が決めること・感じることになり、またその結果によって自分で行動(やめたり、別れたり、続けたり)します。つまり、こちら側(私)が主体となって愛を見つけたりして判断しているのです。

 

 

それでは、再び、聖書に戻って愛について考えて見ましょう。

 

「神は愛です」   〜愛そのものが神様のことである。〜

 

(人類の罪のために)十字架にかかって死んでくださったキリストを受け入れてた場合、私たちの体には神様からの愛が注がれており、もうすでに自分自身には愛が流れてるんだ。

つまりどんなことがあっても、守られているということ。

単に、事故や災いから守られるという神様からのお守り的なものではありません。例え、身体がボロボロになったり、家を戦争で失ったりと目で見えるところの愛がないような状況下でも、私たちの心(魂)は祝福されるということ。(本当の意味での神様の愛による祝福)
(あつこブログ聖書のことが少しわかるシリーズ①より抜粋)
(あつこブログ聖書のことが少しわかるシリーズ①より抜粋)
私たち人間は土の器のように、弱い。けれども、そんな弱い私たちの体に「宝」がある。だから、どんな失敗をしても、裏切られて悲しい気持ちになっても、なかなか人を愛せない、許せなくても、その弱い私の中には、確かに神様の愛がある。
「愛はもうどこにもない」ではなく、神様の愛はすでに、ここに(私たちの中に)あると聖書では言われています。
『すでに、愛を持っている(神様からいただいた)のだから、兄弟を愛しなさい(ケンカなんかしなさんな)』by神様 
つまり、何をお伝えしたいかと言いますと、愛を探し求めるのではなく、自分自身が神様から愛をいただいた、「愛」そのものなのだということなのです。

神様からの愛をいただいていても、失敗します。人に怒ったり、愛せない自分。

 

でもそれは、また神様に祈って許していただきながらまた歩む。だって神様からの愛をいただいているのだから歩み始められるはずなのです。

 

 

まとめ

私も、人に言えるほど、人間関係うまくやってこれたとは言えません。今も、失敗することあります。

本当に未熟なのです。

 

そんな自分への学びとなったのが今回の聖書箇所でした。

 

教会学校でこのお話をした時、共感していただけた、学びとなったとお声かけいただいたのが感謝で、嬉しかったです。

 

きっと「(人を責めたり。攻撃したりする時がある)あつこ自身も出来ていない」という、そんな自分に向けて準備した学びだったからだと思います。

 

イエスキリストは、アダムとエバの時代から受け継ぐ、私たち人間の罪(刑法上の罪だけではない、人間の中に潜む弱さなど)がある、その代価を支払うのために十字架にかかって死んでくださいました。

 

そのことは、私たちの姿形、考え方、どんな宗教か、など世の情報と関係なく、

いつも働いている真理です。

誰かに表明しなくても全く大丈夫です。

 

まずは、祈ってみてください。

「自分には罪(弱さ)があります。そんな自分を受け入れてください。あなたを信じます。」

 

 

みなさんもぜひ神様を知って、生活の中で「喜び」に満ち溢れることが出来ますように。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


これからも、みなさんのお役に立てるような聖書の学びシリーズにしていきたいと考えています。よろしくお願い致します。

参考文献:「THE BIBLE   聖書 新共同訳 日本聖書協会」

「(新共同訳)聖書辞典 監修・木田献一 和田幹男 キリスト新聞社」

聖書のことが少しわかるシリーズ① コリント信徒への手紙  〜土の器の中の宝〜 どうしようもない自分にも宝がある  イスラエルでの戦争について思うこと」あつこブログ コンテンツ内より











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この記事を書いた人

沖縄在住13年目、沖縄のお出かけ情報ならお任せください。歯科衛生士歴20年目、年間1000人以上の患者さんの歯と向き合っています。大好きな沖縄の情報、時々色々な事(歯科、聖書)をお届けします。

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