聖書 おすすめ箇所 シリーズ④テモテへの手紙Ⅰ 〜罪人の最たるもの〜 神様の憐れみに感謝し、自分を知り、前に進む

みなさん、こんにちは! あつこです。

今日は、「聖書のことが少しわかるシリーズ第4弾」です。

 

今月も子ども礼拝でお話担当がありましたので、その時にお話した内容を記録も兼ねて、

みなさんとまた一緒に共有させていただきたいと思います。

 

 

目次

「私は罪人の最たるもの」byパウロ  テモテへの手紙Ⅰ  1章12節〜17節

今回も、伝道者パウロさんが出てきます。

 

このパウロが、テモテという(パウロが信頼を置く)信徒へ宛てた手紙です。パウロがなぜ、自分を「罪人の最たる者」と言うのか。それはテモテへの手紙Ⅰ 1章13節に書かれてあります。

 

「以前わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。」

 

テモテへの手紙Ⅰ 1章13節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋

 

 

パウロの生涯  キリスト教に対して(神様に対して)とんでもない反抗的態度のスタートだった。

 

パウロは、ユダヤ人の家庭に生まれました。

その影響もあり、幼い頃からユダヤ教の法律と律法に厳格に従っており、キリスト教を異端視としていたためです。

 

キリスト教ユダヤ教は歴史的・宗教的な点から多くの違いがありますがわかりやすいところで言いますと、

ユダヤ教

ユダヤ教では、律法の遵守と悔い改めによって神の許しを得るとされています。主にキリストが生まれる前の旧約聖書の時代の神を、唯一神としています。

 

キリスト教

キリスト教では、イエス・キリストの死と復活によって罪の赦しと永遠の命が得られると言う真理があります。

 

①「父なる神(旧約聖書時代からの神)」 

 

②「キリスト・イエス」 

 

③「聖霊」

 

この①②③が一緒になって成り立っている。

このことをキリストの教えでは[三位一体]と言います。

 

このような、違いがあるユダヤ教とキリスト教の狭間にいたパウロ。

 

 

 

「とにかく、律法を守っていたら良いのだ!」

キリスト・イエスの教えを全否定していたパウロです。

 

 

 

 

そのパウロが今や、イエス・キリストを信じ、受け入れ、熱心に伝え新約聖書の多くの書簡でキリストの教えを広める使命を果たした、いわば「キリスト者の顔」とも言える存在なのです。

 

 

 

 

 

「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

しかしわたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがその方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。」

 

テモテへの手紙Ⅰ 1章15節〜16節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋

 

 

 

(パウロの伝えたかったこと)「自分を知り、前に進む」自分のくさい所に蓋をしない

使徒パウロは、新約聖書において初代キリスト教会の指導者の一人でした。

キリスト教の普及に大きな役割を果たしました。

 

 

パウロはある時期までは、キリスト教に対して批判的な態度を取っていましたが、

ダマスコという場所へ旅行中に、イエス・キリストの幻を見たのです。

この体験が彼の心を一変させ、パウロはキリスト者となったのです。

 

この出来事が聖書で語り継がれている、「ダマスコへの道」です。

 

サウロ(改名した。のちのパウロ)は、キリストを信じる人を脅迫し、殺そうと意気込んでいました。大祭司のところへ行き、ダマスコの諸教会あての手紙を求めるため、旅をしている途中でした。

この道に従うものを見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するための決まりを手紙に書かせたいと思ったのでしょう。

 

 

ところが、その旅の中で、信じられないことが起こるのです。

 

「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、天からの光が彼の周りを照らした。

サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。   

使徒言行録 9章1節〜6節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋

 

イエス様には、パウロの行動が全てお見通しだったと言うわけです。

パウロはその後、目が見えなくなるという突然の異変に見舞われるも、アナニアさんというキリスト教の弟子と出会い、目が癒され、洗礼を受け、キリスト者となったのです。

 

 

 

自分のことが嫌いになりそうな時、自分に自信がない時、どう考えたら良いか

 

「こんな、私を見てほしい」とパウロの声が聞こえてきそうです。

 

私自身、

 

自分の悪いところを家族や仕事などで指摘されたとき、そのことに対して目を背けたくなる。

 

そんな自分の至らなさに押しつぶされそうになることがあります。

 

でも勇気を持ってその自分自身を見つめ、それを神様に告白してください。

 

「神様、私にはこんな弱さがあります。傲慢さがあります。これから向き合います。主よ、見守っていてください。アーメン」

どうしようもない自分。一人では抱えきれないこともあると思います。でも、祈りによって心が強くされ、自分の弱さを認め、前に進むことができるのだと思います。

 

人になんと言われようが、私は神様に見守られて、この場所に存在している。

 

自分のことを見つめることは、一人では抱えきれない何か(不安)に襲われることが、

私はあります。

 

でも、冷静にその部分を見つめることができたら、

 

それは前進するきっかけとなり

 

成長に繋がります。

 

イエスキリストは、アダムとエバの時代から受け継ぐ、私たち人間の罪(刑法上の罪だけではない、人間の中に潜む弱さなど)がある、その代価を支払うのために十字架にかかって死んでくださいました。

 

そのことは、私たちの姿形、考え方、どんな宗教か、など世の情報と関係なく、

いつも働いている真理です。

誰かに表明しなくても全く大丈夫です。

 

まずは、祈ってみてください。

「自分には罪(弱さ)があります。そんな自分を受け入れてください。あなたを信じます。」

 

 

みなさんもぜひ神様を知って、生活の中で「喜び」に満ち溢れることが出来ますように。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

参考文献:

「THE BIBLE   聖書 新共同訳 日本聖書協会」

「Text generated by ChatGPT, January,10,2024,OpenAI, https://chat. openai.com.」









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この記事を書いた人

沖縄在住13年目、沖縄のお出かけ情報ならお任せください。歯科衛生士歴20年目、年間1000人以上の患者さんの歯と向き合っています。大好きな沖縄の情報、時々色々な事(歯科、聖書)をお届けします。

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