みなさん、こんにちは! あつこです。
今日は、「聖書のことが少しわかるシリーズ第2弾」です。
今月も子ども礼拝でお話担当がありましたので、その時にお話した内容を記録も兼ねて、
みなさんとまた一緒に共有させていただきたいと思います。
「いつも喜んでいなさい」 テサロニケ信徒への手紙Ⅰ 5章16節〜22節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。
テサロニケ信徒への手紙1 5章16節〜22節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋
今回のお話も、前回投稿させていただいた
に出てきた人物、
パウロさんと言う伝導者(神様の言葉を伝え、人々を導く人)が書きました。
今回は、このパウロさんがテサロニケと言う町にある教会の人々に向けて書いております。
「テサロニケ」と言うところは、現在のギリシャにあたる場所です。
近くに温泉が沸くので、テルマ(温泉)と呼ばれておりました。
以前、日本の映画で「テルマエロマエ」と言う映画がありましたよね(^^)
そのことを思い出しました。
やがて、その町はローマが統治。
交通の便もよくお店もたくさん出店する、重要な都市になりました。
今の那覇(久茂地)、福岡、大阪といったところでしょうか。
このテサロニケのまちは、当時若々しい、活気の溢れる町だったそうです。
テサロニケの教会もまた然り、若さ溢れる元気な教会である一方、周りからのプレッシャーもあり、また迫害もありました。
そのような時に、励まし、もう一度神様からの教えを伝え勇気を与えたのがこのパウロからの手紙だったのです。
パウロの働きによって 外国の人にも教えが広まる
パウロは、
自分が活動している場所から遠くの同胞へ、積極的に手紙を書いたのです。
このようにパウロは、
手紙を通して遠くの土地に住む人々にも正しく神様の言葉が述べ伝えられるようにと尽力しました。
パウロの話す言葉に、聖書の中でよく「異邦人の救いのためにも」と言う内容が書かれてあります。
この異邦人とは、聖書の時代の中心だったユダヤ人以外の諸外国人をさします。
パウロは、自分たちの国だけ、地域だけの神ではないことをはっきりと伝えており、
日本に住む私たちにも福音を述べ伝えようとしているのがわかります。
それとも、神はユダヤ人だけの神なのでしょうか。異邦人の神でもないのですか。
そうです。異邦人の神でもあります。 実に、神は唯一だからです。
ローマの信徒への手紙3章29節〜30節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋
パウロはまるで遠い未来を予想していたかのようですね。
今でいうインターネットのような形を「手紙」と言うツールを使って、
どんどん利用していきました。
遠隔から色々と試行錯誤し考えたのでしょう。
どうしたら、より正確に。より遠くまで。より多くの人に。福音を届けられるのか。
そこで書かれた「手紙」が、今日「聖書」となって私たちも読めるようになりました。
今では世界のベストセラーである聖書になり、遠くの人々にまで届けられることになったのです。
今も昔も、最新のツールを駆使して、みんなの幸せを願って、神様の言葉を伝えたりして・・・。
個人的にはこのローマの信徒への手紙のこの箇所は、身近に感じる聖句の一つです。
話を戻します。
さて、今回のテサロニケ手紙の中の最後にあたる今日の聖書箇所の5章をもう一度見ていきましょう。
この聖書からのメッセージ、「いつも喜んでいなさい」
みなさんどう思われますか?
いつも喜ばなあかんのか。
いつも喜ぶって。ずっと機嫌よくニコニコって。
じゃあ怒ったらあかんの?
よっしゃ!わかった!毎日何かご褒美があればいつもニコニコでいてもええよ!
→ご褒美で喜びと連動・・・。大人になってもありがちですよね(^^;)
私も自分で一人ご褒美、してしまいます・・。
何かご褒美がないと、今日あった「疲れ」などのあれこれを取り除けない!と思っていて、
ついつい嗜好品に走り、食べ過ぎたりしてしまいます。
でも聖書ではそのようなご褒美でなくても喜ぼうと勧めていますね。
ではどうしたら良いのでしょうか。
羊飼いエルピスくんに学ぶ、喜ぶことの定義
突然の写真にみなさん??ですよね(^^;)失礼しました。
こちらは私の通う教会の施設「サムエルハウス」内の様子です。
その端っこにあります、大きな絵にご注目ください。
「羊飼いの少年エルピス」と言う手作り紙芝居です。私たちの教会のメンバーの方が考えた
オリジナルストーリーです。
羊飼いのエルピス君は、最初はお祖父さん、おじさん、お父さんと慎ましく暮らしておりました。
羊飼いだったこの家族。聖書が書かれた時代、羊飼いは卑しい身分の職業とされ、
人々の前に姿を表さずに苦しい中で毎日を過ごしておりました。
そんな羊飼いエルピス君は自分たちが育てた羊を羊の持ち主に渡す(納品する)ために街へ行ったことがきっかけで、
なんと救い主イエス様がお生まれになった場所を訪れ、
生まれたばかりのイエス様にお会いすることが出来たのです。
当時救い主がお生まれになるとは、世界でも囁かれていたのですが、
それがいつなのか、どこで生まれるのか、
誰にも知らされていなかったのです。
そんな救い主をみんながいち早くお目にかかりたいと願っていたわけです。
その救い主に会うことが出来た!
さらに神様の御子であるイエス様に出会えた恵みのおかげで、
声の出なかったおじさんの声が出るようになり、
オオカミの襲来によるゲガで悪くなったお祖父さんの足も治り、歩けるようになったと言うストーリーです。
この祝福された瞬間、エルピス君は、
羊飼いの仕事は失敗ばかり。おじいさんの足がオオカミに噛まれたのも、自分のせいだと思っていたエルピスです。
けれどエルピスは、エルピスであることが嬉しくなってきました。
隣にいる、父さんやユバルおじさん、おじいさんやヤバルおじさんのことがもっともっと好きになってきました。
羊飼いの少年エルピスより抜粋
と感じました。
それはなぜ好きになったのでしょうか。
おじいさんの足が治ったからでしょうか、
おじさんの声が出るようになったからでしょうか。
そうではないと思うのです。
「神様が自分のことを見守ってくれていた。」
「自分は愛されていたんだ。」
「自信を持っていいんや。」
そういうことを感じたから、エルピス君は「自分のことが好きになった」と思ったのでした。
自分の事が好きになる=喜んでいる状態
イライラした自分、誰かを傷つけてしまった自分、失敗した自分がいたとして、
そんな自分であっても、本当の意味で落ち込まない、自暴自爆にならない。
神様の愛の中で自分は生きている。
自分を大切にする。人からの影響を受けずに自分を保つ。
それが、いつも喜んでいる状態なのかなと感じました。
肩書き、環境、人による影響(恋人がいるか、親はどんな人かなど)は少し置いて、
自分の喜び(軸)って何かなと考える。
それは、本当の神様を知ることによって可能です。
今日の聖句には続きがあります。
「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」
テサロニケの信徒への手紙 5章21節〜22節 日本聖書協会 新共同訳 より抜粋
いつも喜んでいることで、自分にとっての本当の感謝や幸せって何かを吟味する。
聖書を知り、キリストの真理・救いを知り、良いものを大切にしなさいと言うこと。
そうすることで、自分の弱さに押しつぶされそうなことなどの「悪いもの」から遠ざかることが出来る。
そのことが表された聖句だったのではないでしょうか。
まさに今の自分に与えられた聖句でした。
自分が心地の良いことって何なのだろうか
元気でいる事ってどう言う事なのだろうか
私も、「答えはこれだ!」と思っていても失敗することもあります。
でもその度に、今日の聖句、
「いつも喜んでいなさい」
に立ち帰りたい、そう思うこの頃です。
イエスキリストは、アダムとエバの時代から受け継ぐ、私たち人間の罪(刑法上の罪だけではない、人間の中に潜む弱さなど)がある、その代価を支払うのために十字架にかかって死んでくださいました。
そのことは、私たちの姿形、考え方、どんな宗教か、など世の情報と関係なく、
いつも働いている真理です。
誰かに表明しなくても全く大丈夫です。
まずは、祈ってみてください。
「自分には罪(弱さ)があります。そんな自分を受け入れてください。あなたを信じます。」
みなさんもぜひ神様を知って、生活の中で「喜び」に満ち溢れることが出来ますように。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献:「THE BIBLE 聖書 新共同訳 日本聖書協会」
「(新共同訳)聖書辞典 監修・木田献一 和田幹男 キリスト新聞社」
「羊飼いの少年エルピス」
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