みなさんこんにちは!あつこです。
今日は・・・
「聖書の話が少しわかるシリーズ」です。
あつこが月に1度、子ども礼拝でのお話担当をさせていただいております。
この時に話す内容や、用いた自作イラストがありますので、せっかくですので皆さまにもシェアさせていたき、
日頃から聖書に慣れ親しんでおられない方でも、聖書を知るきっかけになればと思い、パソコンを開きました。
「聖書ってどう言うもの?」
「有名な言葉は知っているけど、どんなことが書かれてあるのか、目的や内容が、いまいちわからない。」
そのような方でも気軽にご覧いただける内容となっております。
ただし、私自身、一般人です。(^^;)
聖職者の皆さまとはかけ離れており、あくまで一般の信徒目線でのお話になります。
知識としては、まだまだ足りないところもございますが、皆さまの聖書を知るきっかけになっていただけたらと思います。
「土の器」 聖書が伝えたかったこと コリント信徒への手紙より
コリント信徒への手紙の時代
聖書について
今日はコリント信徒への手紙のお話です。
コリント信徒への手紙は、『使徒(キリストの教えを伝えるために遣わされた人)である、
パウロ』と言う人物が、コリントにある教会に書簡(手紙)を出しました。
その手紙はのちに世界に広められる新約聖書の一部となるのです。
聖書の全体的な構成の中↑にあります、写真の中のキリストがお生まれになった以降のこと。
「キリストの十字架」と「そのキリストの復活による希望(キリストを信じれば救われる)」を広めたのがこのパウロでした。
ちなみに、キリストが生まれる前は、
・救い主(キリスト)がいつか来るだろうと待ち焦がれつつ、
暮らす人々の信仰の姿
が書かれていたり、
・新約聖書の予想(予言)をする人たちの言葉
が書かれてあります。
また旧約聖書には、天地創造(この世界が作られるあらまし)が書かれており、
有名なアダムとエバが出てくる場面もあります。
「土の器」の例え・・パウロが伝えたかったこと
『ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものではないことが明らかになるために。』
コリント信徒への手紙(2) 4章7節
日本聖書協会 新共同訳 より抜粋
今日読んだ聖書箇所に、「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」と伝えられていますね。
宝とは
国語の問題のようで申し訳ないのですが、この、「このような(宝)」と書かれてある、
「このような」とは何を指すのでしょうか?
国語の授業の演習であれば、文章の前後を探します。
さっそく、7章の前である、6章を読んでみましょう!
『「闇から光が輝き出よ。」と命じられた神は、わたしたちの心のうちに輝いて、
イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださりました。』
コリント信徒への手紙(2) 4章6節
日本聖書協会 新共同訳 より抜粋
土の器の中にある(このような)宝は、、、
イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光なのでした。
わけがわからなくなった方すみません。
わかりやすく言いますと、「イエス・キリストを信じる信仰」もっと簡単に言い換えますと、
「イエスさまを信じる事によって与えられる内なる強さ」すなわち心の中の
「真の強さ」だとあつこなりに捉えております。
土の器とは
「宝」とは、信仰(イエス・キリストを信じる)であったことでした。
では、
「土の器」とは何の事でしょうか。
これは沖縄の工芸品「やちむん」です。
このような、土と水が材料になっているものが聖書の中でも土の器と呼ばれていると思います。
やちむんもそうですが、色々な形、色がありますよね。そこがまた魅力的。
聖書では、この土の器こそが人間のようだとパウロは話します。
どうでしょうか。
人間も性格、容姿、生まれてきた環境、特技、様々なものが現れて素敵な作品のようです。
でもどうでしょう?
やきもの(やちむん)って落としたら・・割れますよね。
そうです。簡単に割れてしまう。
パウロは簡単に割れてしまうような「土の器のもろさ(危うさ、弱さ)」を人間の弱さに例えているのです。
『美しいが、落ちると簡単に割れる器🟰私たちを表しているのです』
土の器に納めた宝を覚えて! 自分の弱さに失望しなくて良い byパウロ
⇩
このように、弱くてどうしようもない自分のダメな部分に、神様からの恵みがあることで、「途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅びない」と聖書のなかでパウロは語ります。
クリスチャンのあつこが今この混沌とした世界で生きていて、思う事
イスラエルで戦争が始まりました。
率直に言ってとても悲しい事です。
パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ))
NHKサイト
NHKみんなでプラス#クロ現 取材ノートより抜粋
自分の弱さを認めること そんな私にも宝があるんだということ
弱くて危うい自分という器の中に、大切な大切な宝を持つことができるんだと、
宝を持つことができるんだと、一人一人がそのように心を持っていれば。
『世界は変わるのではないか』
馬鹿げていると思うかもしれませんが、本気で、そう思いたい。
(例えばの話ですが)沖縄がもし有事になったら
私は、この沖縄が大好きです。これからも、沖縄のために一生懸命、働きたい。
子育ても沖縄でこれからも行えることに感謝です。
しかし、沖縄で何か有事が起きた時は、家族と、そして信仰を抱きつつ、最善な策を考えたい。
つまりこの沖縄を飛び出す覚悟もあります。
そのための「土の器」に納められた「宝」だと思っています。
今日は少し、視点を変えてのお話となりました。
また「聖書のことが少しわかるシリーズ」
行えたらと思います。
難しいお話だったと思います。
戦争中のその土地に住んでおられる方々にとって「この地が大事である」という意味は、
聖書を信じている私も理解しております。
しかし、この「土の器」についてのパウロの祈りと提言を今一度、考えてみたいのです。
みなさんは、どのように考えますでしょうか。
今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました
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