マタイによる福音書2章はイエス様がお生まれになった直後の出来事。
まだ生まれたばかりの赤子のイエス様に東の国からやってきた占星術の博士たちが会いに行くというお話。
しかしそこには、さまざまな人たちの思惑が交差します。
今回のお話に出てくるイエス誕生の内容を、手塚治虫の漫画で読むのはいかがでしょうか🎵
文庫本サイズなので持ち運びも便利、プレゼントに最適です。(小学生の息子も持っています)
東の国の博士、東の国とは
「東方から来た」
東方とは、バビロン、シリア、ペルシアのことでした。特に、バビロンは占星術の学問が発達していました。(バビロンとは、現在のイラクのあたりを指します。紀元前18世紀から栄え得る。大都市となっていきました。)
「占星術」と「天文学」
占星術
太陽系内の太陽、惑星、小惑星、などの天体の位置や動きなどと、人間・社会のあり方を経験的に結びつけ占うこと。(ウィキペディアより参照)
天文学
天体や、天文現象など地球外で生起する自然現象の観測。法則の発見などを行う自然科学の一分野。(ウィキペディアより参照)
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今日の聖書箇所に出てくる占星術の博士は、前者の占星術の研究者でした。
星占いというものは今でも私たちに身近にあります。
いつの時代も星を頼りに世の中のありとあらゆる現象を読み解きたいという人々は存在していたのです。
中間地点!占星術の博士たち、エルサレムへ行く
占星術の博士たちが「あの星は救い主がお生まれになることを指し示している!」と突き止めてから、直で、赤子イエス様が眠るベツレヘムに行けたのでしょうか。 そうではありません。
東の国(HOME) 出発!
→→エルサレム(中間地点)
→→ ベツレヘム(GOAL!)
確実な場所はわからなかったため、まずは星を頼りに進みます。そこで中間地点となったのが、エルサレムなのです。
エルサレムにイエス様、いるのかな?
「ユダヤ人のユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです。」(新共同訳聖書 マタイによる福音書 2章2節3節より抜粋)
これを聞いてヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々もまた同様であった。(新共同訳聖書 マタイによる福音書 2章2節3節より抜粋)
「エルサレムにイエス様、いるのかな?」と言った具合で、東方の博士たちはエルサレムのヘロデ王に会います。
しかしヘロデ王は、もちろんイエス様が生まれた場所など知らない。むしろいたら困る。知っていたら攻撃している。と言ったところでしょう。ヘロデ王にしたら、自分が王なのに真の王はイエスキリストなのだということになり、自分の地位が危うくなる。アイデンティティもズタズタに・・。
そんな内面のぐちゃぐちゃとした自分の気持ちは、ひた隠しにするヘロデ王。
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「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。(新共同訳聖書 マタイによる福音書 2章8節より抜粋)
ベツレヘムという言葉かここで初めて出てきました。
ヘロデ王が祭司長や律法学者を集めて調べさせた結果、イエス様がベツレヘムにいることが突き止められたわけです。
ヘロデ王は、占星術の博士がイエスの居場所を報告してきたら、後でイエス様を攻撃しようと考えていたのです。
しかし、のちにこの計画は失敗に終わります。
神様のお告げが占星術の博士に下り、「ヘロデのところに帰るな」と示したからです。占星術の学者たちはヘロデ王に知らせずにそのまま自分たちの国へ帰って行きました。
GOAL! ベツレヘムへ到着した博士たち
東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。(新共同訳聖書 マタイによる福音書 2章10-11節より抜粋)
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学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。(新共同訳聖書 マタイによる福音書 2章10-11節より抜粋)
「星の印」「救い主の誕生」を目の当たりにして・・
この星の指し示す場所の真下に、イエス様がおられました。イエス様が生まれた事実と星の位置は動かぬ事実。
しかし聖書に書かれている登場人物は、この事実に対して、さまざまな捉え方をしてしまいました。
- 「ヘロデ王」は、どうでしょう?・・・イエスの誕生を喜ぶどころか自分の保身のために必死になっていました。
- 「東方の博士たち」はどうでしょう?・・・ 喜び溢れており、イエス様を拝むことができて幸せでした。
- 「側近たち」はどうでしょう?・・・同様を隠せませんでした(自分のボス(ヘロデ)の地位が危ないのか?)
- 「マリア」はどうでしょう?・・・誕生のときは喜んでいたことでしょう、無事に出産できて、安堵もあったのではないでしょうか。
- 「ヨセフ」はどうでしょう?・・・マリアの受胎の時には心が非常に動揺した様子が聖書に書かれていましたが、イエスの誕生時にはきっと喜んでいたのでしょう。
これだけの関係者がいますが、イエスの誕生という出来事に対して、みんな気持ちがバラバラではないでしょうか。
答えは1つ
心にイエス様をお迎えする。
イエス様が誕生した事実を信じ、受け入れる。
人間は良くも悪くも、心が動きます。これは素晴らしい煌めきでもあります。
しかし、救い主の誕生は何にも変え難い事実なのです。
洗脳とは違います、洗脳だと、自分自身がなくなって行きますよね。
そうではない。
「心にお迎えし、そこにそっと光を灯す」
イエス様を信じるイメージです。そのようにして、イエス様を心にお迎えするだけです。
あとは、好きなことをどんどんやったら良いのです。政治思想・趣味・勉強、自分の興味関心をどんどん進めていくのも良いのです。(犯罪以外・・)
まとめ
クリスマスは終わってしまいましたが、聖書の物語はまだまだ続きます。いつでも読んで良いのです。
みなさんもぜひ今日の聖書箇所を開いてみてくだいね。
いきなり聖書は難しいという方も、手塚治虫・作の「聖書物語」をぜひお手に取ってみてください。
今回のお話に出てきたイエス誕生の内容を、手塚治虫の漫画で読むのはいかがでしょうか🎵
文庫本サイズなので持ち運びも便利、プレゼントに最適です。(小学生の息子も持っています)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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